朝ドラをみていて
少年法改正云々ということをやっていましたが、
戦後から、私が生まれるしばらく前までは、
悪い子といえば、
生きるために食べるために、
犯罪に手を染める子どもを悪い子としていた気がします。
そして私が子どもの頃は、
非行少年とか
不良という呼ばれ方をしていたような。
私が通っていた公立の中学もそこそこ荒れていて、一年の頃は授業中に廊下側の窓ガラスが割れるとか、
違う学校のヤンチャな人たちが乗り込んでくるかもしれない日があったり、
不良の人が屯して、
授業をサボってタバコを吸ってるトイレがあって、
そこには普通の学生は入れなかったり、
いわゆる悪い子はクラスに4.5人くらいいるような時代でした。
いろんな事件が毎日起きるからこそ、
学校にはエネルギーが溢れていて、
人が集まるからこそ、いろんな人がいて、
若いパワーを発散する場所だったように思います。
不良と呼ばれていた子達とも普通に付き合っていたし、
そんな子が文化祭でみんなと並んでちゃんと合唱に参加したり、
運動会でリレーの花形になったり、
ちゃんと仲間だった気がするし、
今となっては、
いち早く孫ができたり、
二人目の奥さんもらってる子がいたり、
と、奥行きのある悪い子は
たくさんいたのです。
今、悪い子って、
目立ってこんな感じという子いますか?
むしろ世の中的には、
親御さんも含めて、
子どもたちに波風立たない
いい子
を求めていませんか?
成績がいいからいい子、
大人の言うことを素直に聞くからいい子、
お友達と仲良くできるならいい子、
リーダーシップをとって活躍できるからいい子、
なんか、
薄っぺらく見えて仕方ないです。
親のいうことをよく聞く子も今は多いかもしれません。
ほとんどの子どもは
衣食住は事足りていますし、
多くの子どもはそこそこの年にはスマホを持って、たくさんの情報を手に入れ、
面白いことにも事欠かないくらい、
本当は満たされているけれど、
昔のヤンチャな悪い子たちほど、
エネルギーに満ち溢れてるようには見えません。
いい子に見える子はいくらでもいるし、
いい子でいてほしいと願う親もとても多いと思います。
でも、
我が子に願うことって
いい子でいてほしいと思うことが一番でいいですか?
穏やかで優しい子も多いし、
はみ出てまで、自分を主張しなくても、
なんとなくみんなと一緒と、
場に流され、なあなあになってた方が楽と思ってる子も多いんじゃないかと思います。
少なくとも今は、
人と摩擦してでも自分を主張したいと思うような時代ではないのかもしれない、
そこまでしてでも手に入れたいと思うようなエゴが生まれづらい社会でもあると思います。
私は
我が子も教え子たちも
いい子であることに全く興味がありません。
むしろ、一見聞き分けが良くお利口さんないい子は、
用心深く丁寧に本質や本音を探り出したくなります。
私だって、八方から見られて善人なんてことはないわけで、
時にずるく、時に情けなく、時に激しい
それが好感を持てる域を超えるくらい感情的になる時だってあって、
それもひっくるめて自分だから、
その自分をちゃんとわかって、
社会人として人と関わり合っていくものだと思っています。
我慢したり、許したり、
思いっきり反省したり。
外からのみられ方によって、子どもたちが程よくいい子を演じ続けるような社会環境、
家庭環境は、
私はよろしくないと思っています。
元気な子、活力のある子、欲求に満ちてそれを手に入れるために暑苦しく頑張れる子、
小さい頃にしっかりエゴをぶつけ合って人との距離を学んでいけるような環境
子どもたちに、ちゃんと子どもらしい子ども時代が経験できることを心から願っています。
いい子って?
ちょっと考える機会になったら嬉しいです。