娘は、幼稚園の先生をしています。
ある研修を受けたときに、描いた絵がこちら
いろんなイメージを真っ白い紙に好きなように描くという研修を受けたそうで、
なかなか面白い絵をたくさん描いたそうです。
この絵
安心というテーマで描いたもの
イメージしたのは母
安心と言えば母!と思ったそうです。
研修の先生には、
これお腹の中にいるあなた自身やん
と言われたらしく、まさに、安心をイメージしたら、
母のお腹の中にいたときなのねと、娘自身は納得、私はびっくり。
一緒に受けていた他の人は、もっと違う絵を描いていたらしくて、
マザコンがばれたと娘は言っていました。
娘は、22歳になる今でも
時々、ぎゅーってして、と抱きしめることを要求してきます。
何歳になってもそれは変わらないんだろうなぁと思います。
その役割は、
私自身母として、私しかできないと自負していました。
そしてこちらは、自分自身を創作するとこんな感じらしく
これを見て、私も娘そのまますぎて笑ってしまうくらい具現化できてると思いました。
卵から新しい芽が出ていて、それに羽がついていて、
真ん中に赤くて熱い想いがある感じでしょうか?
後ろも実は凝っているのですが、
自分を作ってと言われて、どんどん作ることができたそうです。
私ってこんな人という想いが、強くあるのだと思います。
その研修のあった日、聞いてほしくて仕方なかったみたいで、たくさんたくさん話をしてくれました。
この日に限らず、
うちの娘はもちろん、息子も、
とにかく、私に話を聞いてもらいたいという気持ちが強く、
すっかり大人なのに、
家にいる時は、リビングのソファに三人で座り、右からと左からと、ずっと話しかけてきます。
子どもたちが、小さいころから毎日、本当にたくさんの話をしていました。
大きな反抗期のようなものはなく、ずっと、子どもたちは日々の様子は、聞かせてくれていたと思います。
それはたぶん、私が子どもたちのことを、丸ごと、肯定していたからだと思います。
毎日、外から帰ってきた子供たちに、
どうやった?
と尋ねていました。
すると、ああだこうだといろんな話を聞かせてくれます。
それを、へえそうなんか、と
共感しながら聞くのです。
面白いとか、楽しいとか、悔しいとか、悲しいとか、いろんな感情を持って帰ってきたら、
それを、一緒にその思いを体感しながら、話を聞くのです。というか、自然とそういう気持ちになるのです。
だから今でも、共感してほしいと思うからこそ、たくさん話をしてくるのだろうなぁと思うのです。
母として何をしてきたとか、偉そうに言えることは少ないのですが、
共感して、一緒にいろんなことを経験してきたということだけは、自信を持って言えるので、
娘が、私といる時が一番安心すると思ってくれていることは、とてもうれしいことでもありました。
このお盆休み、うっかり転んでしまって、足を骨折してしまったのですが、
一応できるだけ安静にした方がいいとのお達しと、実際痛くて動かせないので、
家事ができない、右足なので、車に乗れない、
どこにも移動できないということで、
盆休み期間中、
娘と息子には負担をかけまくっていたのですが、
盆休みが終わって、教室が始まって、
通勤の時は、車で送り届けて迎えに来てくれて、
挙句、毎日の食事も全部交代で作ってくれて、
できるだけ私を休ませるために、息子は、介護休暇を取り、
在宅で仕事をしてくれて、
私の身の回りの世話をかいがいしく焼いてくれました。
物理的に本当に動けないのはあったのだけれど、
こんなに大事にしてもらっていいのだろうかというくらい、有難くて、
それももしかしたら、
子どもが小さいころに、いろんな送り迎えとか、病気の時に仕事を休んで、
入院に付き添ったりしたことを、無意識に感謝してくれてるのかなぁと思いました。
小さい時から今まで、本当に親子関係は悪くなったことがなく、
ずっと仲よく、信頼し合いながら親子をしていることは、私の自慢でもあるし、自信でもあります。
教室の子どもたちは、
我が子と同じように、かわいいし、大事だし、愛おしくて仕方ありません。そして、みんなにも我が子と同じようにいつも聞きます。
学校どう?お友達とはどうなん?学校の授業は、おもしろいの?とか、何か楽しいことある?とか、
聴けば、皆生き生きと答えてくれるので、私としても楽しくて仕方ないし、
うちの娘みたいに、かおり先生に話をすることで、安心してくれていたらいいなぁと思っています。