頑張る機会

 

 

 

 

子どもたちが3.4年生になってくると、

それぞれの資質によって学習への取り組み方が、多様化してきます。

 

中学受験のために準備を始める子

 

学校の宿題をきちんとやる子、やらない子、

 

その上で、学習の補助のために塾や、公文などに行く子、

 

学校外では学習に関して宿題以外何もしなくて、

学力が足りている子、

 

足りてなくていわゆる落ちこぼれになっている子、

 

勉強なんてさっぱりわからずついていけず、そのことに問題意識さえ持っていない子

 

ここまで開きが出た子どもたちに教育を施す公立学校現場の先生たちは大変だろうなぁと思います。

 

学校生活の大半は授業ですから

塾で受験のために必死で勉強してる子も、

授業中全くわからない呪文を延々聞かされている場所に座り続けなければならない子も、

 

いずれにしても苦痛ですね。

 

中学受験は、私は推進派ではないのですが、それでも、

行きたい学校があって、

そこへ行くために2.3年準備をする中で、一生懸命勉強する機会があるというのは、

決してマイナスではないと思います。

多くの中学受験をさせたい親は、

この2年間、相当熱心に子どもの教育について向き合うことになるのも、

プラスになると私は思っています。

中にはやりすぎで、親の操り人形みたいにしてしまうなんてマイナスもありますが、

多くの場合は親の協力を得て頑張る親子関係は

この時期にしか育まれない気もします。

 

週に何回も塾に通って、ずっと成績と向き合わされて、

 行きたい学校に行けるかどうか、

その学力に自分が届いているかどうか

 

ずっとそのことに囚われ続ける2年間を過ごしている受験組の子達の経験は、

それを活かす方向でとらえたら貴重だと思います。

その時の頑張りは間違いなく子どもにとって糧になるはずです。

 

そして、中学で受験をしない子は公立中学に上がり、

またそこで、小学生の頃と同じように分類されます。

 

でも今度は、高校受験は100%通らなければならないので、

全員が15年生きてきた中で、

学習の成果と学校での生活態度についてどうだったかをジャッジされるわけです。

 

高校受験なら、

今度は経済的な尺度もあります。

公立校と私立校では、かかる費用が違いますから、学力があるから私立という場合と,公立に行けないから私立という物差しで、

行ける高校が決まってきます。

公立も校風とその先の大学への道の可能性で学力によって目指せる学校が決まります。

 

頑張った結果、頑張らなかった結果が

如実に現れるということです。

 

親であったり、学校であったり、自分以外から受ける影響で、

子どもたちは頑張った経験ができたかどうかが

ものすごく問われると思うのです。

 

頑張る機会に恵まれなかった子は、

頑張り方を知らずに15歳になってしまいます。

 

行きたい学校に行けない、

やってこなかったからお金がかかるなど、

 

頑張りが効かないということで、

自分の好きな道に進めないなんてことは往々にしてあります。

 

まだ高校受験ならここから巻き返しができますが、

 

就職の時に、

頑張らなかった自分と向き合うのは、もっと残酷なことです。

 

今度は所得に直結するし、

社会人になるというのはしばらくはその環境で仕事をしなければならないからです。

 

頑張りがきかない分、多くのことを辛く感じる場合が多く、

小さいことが理由で辞めたいと言い出す子の多くは、

子どもの頃,頑張る経験をしてきていない場合が多いように思います。

 

今は、仕事ができなくても、

なんとかハラスメント的な風潮が強すぎて、愛情を持って指導してくれる上司も減っていますから、

できないまま野放しです。

 

そうすると所得は増えていきません。

あれがしたいこれがしたい、という自分の欲求を

自分で叶えられるだけのスキルが身に付いていないばかりか、

誰からもそこからでは教えてくれる人もいないということになってしまいます。

 

私は一時期、主人が社長を務める会社の仕事を手伝っていたこともあり、

この

 

 「頑張りが効かない社員」

 

を結構みてきました。

私より歳が上でも、責任が取れないような人もいました。

 

今の子どもがそうというわけではなく、社会はここしばらくずっとそんな感じで、

人を分類し、

勝ち組、負け組みたいな風潮は、続いてきたと感じます。

 

誰かに負けないようにとか、勝ち組になることが幸せだとは言いません。

でも、

自分の幸せのためには頑張れる強さを

子ども時代に身につけてほしいと心から願っています。