アメリカでは370万人なんだそう。
日本でも30万人
こんな記事を見つけました。
私はてらこやをやっていますが、
学校でやる教育とは、一線を画していると自負しています。
ただ学校にも大きな役割があります。
人がたくさんいる場であるという役割です。
これだけは親やてらこやではどうにもならないので、
子どもたちが学校へ通う意義は大きくあると捉えていますが、
学力、学習という面において学校の仕組みは、
効率が非常に悪いと思われます。
だからこそ、日本では、塾に、
優秀な子どもも、落ちこぼれの子どもも通うことになっているのだと思われます。
でも、アメリカではホームスクーリング
要するに親が教育を施しているという状況のようです。
我が子の知育に関して親が責任を持つ。
しかも、高教育を親が施すことができる
アメリカっぽいなぁとも思うし、
事実上、日本でも、
教育的なことに深く関心を持っている親御さんは、
すでにそのような視点でお家での教育に目を向けておられるのではないかと思われます。
そうなってくると
今後、尚更格差は広がってきますね。
ピアノを教えていると、
遺伝的な元々の素質は、無視できないと感じる時は多いです。
その上、親御さんが経験者の場合、
練習の量の目安がわかってくださっているので、
上達が早いというのも言えます。
お家での声掛けなども影響するのかもしれません。
また、教育意識の高い親御さんの場合、
ピアノの経験がなくても、
何かを習得するという根本的な当たり前を理解してくださってる場合が多く、
素直に純粋にお稽古に取り組んでくださるので、
それはとても新鮮で、みずみずしく、
子どもも生き生きと伸びていくというような場合もよくあります。
私は、不登校のボランティアを20代の頃にやっていて、
その活動の中で、学校に通っていない子どもたちと直接、接していました。
その中で、二つの持論を持つようになりました。
一つは
学校なんか行かなくてもいい
もう一つは
学校ぐらい行けた方がいい
この両方が子どもたちの中にあってもいいかなぁと感じるし、
親も、どっちもあり、と
腹を括れていてもいいんじゃないかなぁと思っています。
学校は人がたくさんいる場所
だから、社会の縮図でもあります。
大人になったら、
職場
街のコミュニティ
親戚づきあい
親になったら
ママ友、パパ友、先生とのお付き合い
など、
誰とも関わらずに過ごせるなんてありません。
同じ年の同じ地域の子たちや、
同じことを目指し、同じ観念で集まったりする学校よりも、
社会はもっと複雑な人間関係にさらされることになります。
その中で人生は続き、乗り越えていかなければならないこともたくさんあります。
学校はその練習ができる場でもあります。
先生や親が見ていてやれる中で
毎日の日常の積み重ねで人との関係をどう築いていけばいいかを、
義務教育でも9年学ぶことができる場です。
大変だったり辛かったりすることも経験の一つになりますから、それはマイナスではないはずです。
でも、教育、学習という面では、
学校の先生は知育のプロではなくなっているのが、現状だと思います。
多分社会において、子どもの知育のプロは
塾の先生ではないでしょうか?
ただこれも、
日本においては、
意味があるかわからない受験というものに特化されている塾が圧倒的に多いため、
入試対応能力が身につくだけで、
人間的な成長は伴わない場合もあるように思います。
受験や就職を目標としない、
人として人生を生き抜く大人になるための
真の教育をする場など、ほとんどないと思われます。
なので、多分アメリカでは
ホームスクーリング
親が我が子のための完全オリジナルの教育を施すという考え方が、370万人なのではないかと思います。
日本ではどうなんでしょう?
親が我が子の教育に全責任を持つと
腹を隠れている親御さんはどのくらいおられるのでしょうか?
てらこやでは、
子どもたちの未来を
ガチで一緒に考えていきたいと思っています。
そのために子育て茶話会を実施しています。
定期開催のため、その時の時事ネタで話をするのですが、
次回はこの
学校というものの捉え方の話をしたいと思います