一生懸命という名のロマン

14年ぶりの世界一に沸き立った先週

視聴率は、40%を超えていたといいます。

多くの人が熱狂的に、今回の快挙に酔いしれました。

 

以前、心理学を学んでいた時の師匠は、思慮深いといいますか、いつも少し普通の人とは違う視点をお持ちで、

今回も、ぼそぼそっとつぶやいておられたことにハッとしたのでシェアします。

 

私たち、庶民が、あんな世界トップレベルの選手たちの頑張りに酔いしれるのは?

 

その師匠の言葉を借りるならば、

 

「日本人が忘れかけていた、

一生懸命というロマンを思い返させてくれた」

 

人は、本当は、何かに一生懸命になりたいけれど、

それは、もうロマンという特別なものになってしまったのでしょうか?

 

一生懸命何かに取り組むということの先に、今回のような、夢のような出来事がやってくる

 

それを味わえるのは一部の人だけなのでしょうか?

 

日本人の多くは、観ているだけで、自分で体感するものじゃなくなっているから、

だから、

 

ロマン(空想)

 

なのでしょうか?

 

若いころ、自己啓発セミナーのスタッフをやっていたころ、

 

あなたは、プレイヤーですか?評論家ですか?観客ですか?球場にも、足を運ばず、テレビも見ない人ですか?

 

みたいな、

そんなそれぞれの人たちの、立ち位置を問う質問を投げかけていました。

 

一人一人、自分の人生のプレイヤーであるはずなのに、外側から見て、

一生懸命の先の輝きを眺めて、羨んで、それをロマンと感じるだけで、自分事にしないのは、

もったいないのではないでしょうか?

 

一生懸命という名のロマン

 

私は、子どもたちには、それを他人事と感じるのではなくて、

実感として、その輝きを味わってほしいと思っています。

一生懸命の度合いによって見える世界は必ず変わってきます。

 

WBCの他の国の選手だって、一生懸命やっていたはずですから。

勝ち負けのある世界では、それが如実に出ます。みんな一生懸命なのに、敗者が生まれるものですが、

 

自分の人生ととらえたら、自分の一生懸命の先には、一人一人の輝いた足跡が残るもの

その輝きは自分にしかわからなくていいと思います。

 

そうやって足跡を作ることがロマンならば、こんなロマンチックなことはないのではありませんか?