ヤマハの講師をしていた頃
よく教え子をコンクールに出場させていました。
まだ若かった私は、ある意味教え子たちがコンクールに出場してくれて、審査員にジャッジをされることによって、
自分の指導が間違っていないことを確認する機会になっていました。
他の出場者の演奏を聞くことも勉強になりました。
怖いことですが、その先生に習っているから、入賞できないという生徒さんもたくさんおられます。
先生の教え方で、
この先生の生徒さんが上位入賞総なめという時さえあるのですから
教えられ方によって結果に差が出てしまうのは間違いありません。
小さい子どもであればあるほどそれが如実に出ますから、
講師である私の責任は大きいと思い、
私自身の修行の意味でも
若い頃はずっと機会があれば教え子たちにコンクールにチャレンジさせていました。
その中で、よく思っていたのは、
最優秀賞をとる子の演奏は、すぐにわかる場合が多いということです。
コンクールですから、もちろん審査があります。
ダメだと感じることは減点法で、
いろいろ聞きながら思います。
中には入賞はしないものの、この子の演奏は好きだなぁと感じる時もあります。
私の教え子にはそんな演奏を目指させていました。
技術的な限界はさておき、ちゃんと心の入った演奏をすることは、どの段階でもできるので、
入賞するしないよりも、音楽に取り組む姿勢は、伝わるような弾き方をさせたいと思っていました。
でも、目先の技術的なことも無視はできません。
お稽古を繰り返す中で、どうしても重箱の隅をつつくような作業が必要になります。
小さな子どもがコンクールを目指すことによってピアノを嫌いになる場合がありますが、
それは、細かい欠点を直す作業は辛いからです。
そして、そればかりしていると音楽もどんどん小さくなっていきます。
二位の子まではその、細分化レッスンをしてきたんだなぁというのを感じてしまう場合がよくあります。
小さい子なら、先生にこう習ったからそう弾くのね、と感じるような弾き方をする箇所がある
要するに音楽の外側から音を感じている弾き方をしている箇所があるのです。
でも、一位の子は、
そんな細かい作業もちゃんとやり尽くした上で、
そこに魂が入っているというか、
その一瞬の煌めきみたいなものが迸っている、
理屈抜きで良い、聞いている側も細かいことを感じるより単純にイイと思えるような演奏の時にグランプリをとっていくのです。
私の教えていた子が一度だけグランプリを取ったことがありました。
取れるほどの実力がその時あったとは思っていませんでしたが、
他の子と並べて聞いたときに、その子の演奏が一番、理屈抜きで心にダイレクトに伝わってくる演奏だったので、
審査発表の前からこれは行ける!と思いました。
そんなものです。
上位入賞は堅い、と思っていても、当日の心の状態で、二位三位になったこともよくありました。
だから、心の仕上げ方が重要になるのです。
心と音をちゃんと繋げる
音楽の内側にちゃんと入った上で音を紡ぐことが大事、
コンクールでは
感じながら弾くこと
を突き詰める練習ができるので、
子どもたちに取ってものすごく勉強になると思って、取り組ませていました。
今は、それは、日頃のお稽古にも大事なことだと思って、
実力、技術の差はさておき
何より心と音をつなげるためのレッスンをしています。
コンクールを目指すか目指さないかは重要ではなくて、
心そのまま音にできるようにする力を育むのは、日々の練習であり毎週のレッスン一回一回が大切です。
始めたばかりの子どもから、そういうことを感じ取れる子に育てたい、感じ取れる親御さんであってほしい、
そしてそれこそがピアノを弾くことの喜びそのものだから
そのための鍛錬だから
それを辛く苦しい訓練と思わず、取り組んでもらえたら嬉しいなぁと思います。
心と音が繋がる瞬間は、震えるほど嬉しく感じるものです。
そして繋がった音を聴かせてもらえて、
その弾いている想いに共鳴できたとき、聴いている側も幸せな気持ちになるのが音楽の素晴らしさです。
それを具現化できるのがコンクール
技術的な鍛錬をとことんやって、
その上で音楽が踊り出すような演奏ができるように指導していきたいと心から思います。