当たり前のレベル

私は

小さい頃から先生に恵まれたとつくづく思います。

私の中にある、当たり前と思っていることは、

間違いなく、小さい頃に、周りの大人が教えてくれたことだなぁと思うのです。

 

近しいところだと父ですが、

いくつかやっていたお稽古事の先生たちが教えてくれたことが、

私の当たり前を作ってくれたのだなぁと思います。

 

例えばそろばん

 

ピアノ以外で頑張っていたことといえば、一番はそろばんと言えるくらい、

頑張っていました。

 

友達のおじいさんが先生で、

厳しい感じの人でした。

 

とてもたくさんの子が習いに行ってたそろばん学校で、一クラス4.50人いたんじゃないかなぁと思います。

それが、レベルに応じてだんだん時間が遅くなっていく仕組みで、最後は7:20〜8:30というクラスで、何級になったらこの時間というように、上級になると時間が遅くなっていくという仕組みでした。

 

 

また、段を取ると授業料が無料になる仕組みで、私も中学に入ってからは、

いけない日が増えたものの、無料だから在籍していたという感じでした。

 

そのそろばん学校には

10段というお兄さんがいて、

お手伝いに来られていました。

また、有段者はゴロゴロいて、

一番前の方の席で、

練習しておられました。

 

最後のクラスだけ、上の人が前の席になるけれど、それぞれのクラスは、上手くなってレベルが上がるごとに席が後ろになる仕組みで、

それぞれのレベルが常にはっきりわかるようになっていました。

 

検定試験ももちろんあるけれど、

大会も年に何回もあって、誰でも出られるものと、選ばれないと出られないものがあって、

学年ごとに選ばれるかどうかは、そのときの力によりました。

 

練習は平日毎日あって、検定前になると土曜日も練習があったり、日曜日に大会があったりして、

今、思えばよくこなしていたなぁと思うくらい、そろばんにも時間をかけていました。

 

そろばんは、とにかく数やれば必ず上手になるし、上手になると正解が増えて合格したり大会で入賞したりと、結果が目に見えてわかるのでやりがいがありました。

 

年上の人を追い抜いたり、年下の子に追い抜かれたりするのも、

明らかに分かってしまうので、

無意識に負けん気が芽生えたりもします。

 

そんな環境があったからこそ、

2段を取るまで頑張れたんだろうなぁと思います。

 

友達にも有段者がたくさんいました。

私だけが頑張っていたわけではない、そんな、周りの頑張りに間違いなく影響を受けていました。

 

だから、

そろばんをするとは、こんな感じという、私にとっての当たり前が育っているのだと思います。

 

ピアノもそうです。

 

周りでめちゃくちゃ頑張ってる子達の姿勢に感化されていました。

子ども心に本当にうまい子たちの演奏を聞いては、敵わないと思いつつ、あんなふうに弾けたらいいなぁと思うので、

練習の量とかも

その子達の普通の感覚に近づくようにと思っていたような気がします。

 

身を置く環境によって、

当たり前という感覚は育つように思います。

 

始めは何もわからないところからなので

初めての環境次第で、当たり前のレベルは決まってしまうのだと思います。

 

礼儀や、常識と感じることもそうかもしれませんね。

 

そろばんやピアノに限らず、

自分の当たり前は、どの場面でも自分を助けている気がします。

 

その当たり前のレベルが世間的に低すぎると、

すべてのことに頑張らなければならないとなるかもしれませんが、

私の場合は、

普通にやってるつもりでも、

周りから見たらしっかりやっているレベルを当たり前と感じているので、

辛くないのはありがたいと思います。

小さい頃に周りにいてくれた、父や先生をはじめとする周りにいた大人の人たちのおかげです。